怒りの出処はどこか。原因や状況は様々だとしても「相手に期待している」ことが根底にあるようだ。「こうしてほしい、こうじゃなきゃダメだ、なんでやってくれないの」SO、相手に期待しているが故に生まれる感情である。じゃあ、相手に期待しなければ、怒りや鬱憤は発生しないのか。SO、期待をやめれば心は穏やかになり、安定した状態でいられる。期待がなくなれば失望することもなくなる。相手に期待しているときの矢印は、自分から他人である。その矢印の状態では、上手くいくものもうまくいかなくなる。他人と過去は変えられない・・・というあれである。矢印は自分に向いていなければいけない。では、一緒の職場や同じ家庭で過ごす場合、単に期待を無くせばそれで済む話なのか。NO、それでは支障は出る。だから「取り決めやルール」が必要となる。気の合う人や自分と感覚が似ている仲間であれば、あうんの呼吸でいちいち取り決めやルールなんて必要ない。多様な考え方の他人同士が、一つの職場、一つの家庭、一つのプロジェクトに集ったときは、ある一定の「仕組み」が要る。その構築には、双方のコミュニケーションと認識合わせが必要であり、時にはツール(アプリやクラウドサービス含む)を活用したっていい。「なあなあ」を取り除く作業は、時として必要なのである。え、私!? いつも怒り狂っています笑
それは冗談ですが、昔よりだいぶ丸くなったなと感じる(20代が100としたら今は30くらいか)なぜ人は丸くなるのか。経験を積むということもあると思う。ただし経験したことない事象が発生したときは自己処理できずに、心穏かでないこともある。日々勉強ですね。