HATSURO | BREST Weblog / by Shuichi Miya
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僕は、文字を書くことが好きだ。

 

人はそれぞれ大小強弱はあれど、

何かを発露したい欲求をもっている。

歌ったり、踊ったり、喋ったり、書いたり、作ったり、見せたり…。

それを表に出す、表現することによって、

人によって、状況によって、いろんな取られ方をし、

時には、賛否両論やさまざまな意見が出ることもあるかもしれない。

 

ただ、それらを気にして「HATSURO」しないという

消極判断だけはしたくない。

ファッションや音楽、またクリエイティブに関しても個性的な

オランダ、アムステルダムに行った時、強く感じたことがあった。

白人、黒人、アジア人、アラブ人、黄色人種が入り交じっているということもあるけど、

 

「向こうは、人(回り)と違うこと、個性的であることが当たり前で、

むしろ、らしさを出していないほうが逆に浮いてしまうみたいなところがあった。

対して、日本だと、回り(人)と少しでも違ったり、

本筋ラインに乗らなければ、まるで社会から外れてしまうようなところがある。

(それは、他と協力して力を合わせて一体となれる良さがある反面として…)」

 

日本の15歳から39歳のひきこもりが、150万人を超えているとテレビでやっていた。

単に、本人や環境や悪いとかいう問題ではないようなところもあると思う。

 

ただ、

人と違うということにも、僕は2つの捉え方があると思う。

人と違うことによって、回りに迷惑をかけるのは、単なるわがまま。

しかし、自分を認めてもらえず、発露できないという息苦しさを

押し殺して生きるということは、

”個性”や”らしさ”だすという自分の欲求に対して建設的ではないから、

そんな時はもっと正直に生きる、自分を貫くほうがいい。

 

しかしながら、

「HATSURO」することの根底には、

流れる川に船を浮かせ、「自立」と「責任」という意志でバランスをとり、

岸の係船柱から自ら手を離し、前を見続けなればいけないことがともなう。

 

なんか話が大げさになってきたけど、

要は「持ち味を出して、今を楽しもう」と言いたかったということ。

 

強引な締めになったな…。

 

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