DIARY | BREST Weblog / by Shuichi Miya - Part 6
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今日は、風が冷たく感じるように、秋から冬への訪れを感じる季節。

先日、まだ日中は寒さを感じなかったので、内部ミーティング(ディレクター)を東京オフィス(THE WORKS)屋上で行った。開放的でたまにはアリだなと。

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石川本社から執行役員の笹木さんが来て、東京オフィスに加入した新たなメンバーとともに。

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たまたま、服のトーンも似ていて、記念のワンショット。

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歩いたり外の空気を吸うと、気分や発想がよりクリアになっていきますね!

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事務所にいても仕事が手につかなかったので気分転換に「すみだ北斎美術館」へ。(先日、中目尻にある僕のオアシスでもあり高い意識へと引き上げてくれる教えたくないお店1988 KORYORI-YA で北斎の話が出たこともあって)

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感想は、息子が小学校のときに書いた作文を超えることが出来ないと判断したので、ここに文字を起こし、転載することにする。

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絵が伝えるもの

「ザッバーン、ザァー」

まだ日が出たばかり、富士山の見える神奈川沖で怪物のような巨大な波に地元の漁師たちがおそわれています。波は波頭を鷹の爪のように立て、体を丸め、三台の船を丸飲みにしようと、おそいかかりました。でも漁師たちはどうすることもできません。縮み上がってしまいました。

藍色・青色・水色・白色・黒色、なめらかな曲線と激しい曲線、細部まで描かれたかげ、その立体感。波は今にも動きだしそうで、まるで本物のあらぶった波のようだ。ふつうの紙に刷られた絵だったいうのに五感が働く。藍色の水と白い波頭が波のめりはりをつけ激しさをだしている。さらに青色の筋が水の流れを出しているし波頭のかげもちゃんと描かれている。だから立体感がより出ている。ただの波の絵ではなく、感触も、音も、匂いも伝わってくる。だからこの絵を見ると、あらぶる波からとんできた大粒の水しぶきがしたる、波の迫ってくる音が聞こえ、潮の匂いが鼻いっぱいに広がる、しょっぱい海水が口に入る。そんなような感じがしないだろうか。

この絵は葛飾北斎の『富嶽三十六景』より『神奈川沖波裏』。富嶽三十六景の中でもだれもがみたことのある有名な絵だ。なぜこんなに有名なのか、この絵を一目みただけでも分かる。どっしりとした色づかいと、はじけるような線で描かれ、怪物のような大波がたっている。どこか激しくて、どこか、静かで、美しい。『神奈川沖波裏』は江戸時代にはやった浮世絵。浮世絵は今で言う版画で、絵師が下書きを書いて、ほり師が版木をほって、刷り師が木を何枚も刷り重ねてできるものだ。でも版画はふつうの水彩画などとちがって流れを描くことができない。水彩画などの場合は、筆によって筋のようなものができる、それが流れだ。水彩画などはこの流れを使って葉や水などの自然の線を描くことができる。だが版画はどうだろう。版画は刷るものなので流れというものは一切できない。『神奈川沖波裏』にもどろう。この絵は版画なのにもかかわらず水の流れが感じられる。ここもまたこの絵のすごいところだ。

次は、富士山を見てみよう。まず、この絵に書かれている富士山は大波がたっているのにもっかわらず、すごい静かなのに気づいたかい。大きく、激しい波がある中にどうしてこんなに静かな富士山があるのだろうか。何か特別な思いでもあったのだろうか。人それぞれに意見があると思うが、ぼくは、きっと富士山はとっても神秘的だし日本一の高さだからとってもすごい存在だったと思うので、富士山はどんな大波にも流されない、強い山という思いがあったのではないかなと考えた。この絵は、富嶽三十六景の一枚、もちろん富士山も主役なのだ。

この絵がつくられたのは、今からだいたい二百六十年くらい前、江戸時代の中半、歌舞伎やすもう、花火なども栄えた時代だ。『神奈川沖波裏』だけではない。この時代には富嶽三十六景の残り三十五景もふくめ、他にもすばらしい作品がいくつも制作された。あざやかな色と繊細な線でたくさんの人にえいきょうをあたえた。女性を描いた美人画は、当時の服そうの流行をつくったし、富嶽三十六景などの風景画は、人々に旅へのあこがれをかきたてた。今でも絵の力で人々の気持ちが変わるものがある。絵が人の心を動かすのはどんな時代でも同じなのだ。

ここまで『神奈川沖波裏』を見てきてこう思った人はいないだろうか。「もう写真でいいでしょ。」確かにこの絵を見ると、すごいリアルで上手く描かれている。だから写真でとったっていいじゃないかと思うかもしれない。でもそれはちがう。もちろんこの時代にカメラがなかったというのもあるが、『神奈川沖波裏』は写真では成り立たないのだ。ではこの絵が写真だったらどうだろうか。立体感も流れも完ぺきに写し出される。だが一つだけ、写真ではできない事がある。気持ちをこめることだ。『神奈川沖波裏』には作者、葛飾北斎のたくさんの思いがつまっている。富士山の静けさ、爪のような波頭、藍色の海などは写真では表すことのできないものだ。そしてこめられた思いは、この絵を見た人みんなが感じとることができる、そして、この絵は人々に感動をあたえるのだ。

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SHOTARO YOKOYAMA という若干20歳の男。彼は、池尻にある小料理屋「おわん」(東京で僕の食と孤独を支えてくれている愛すべきお店)でバイトをしており、日中は、すぐ近くの「東京すし和食専門学校」に通っている。今日は、その専門学校の学園祭で彼が鮨を握るということでお誘いいただき行ってきた。

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これがまた思った以上に本格的な雰囲気。

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技術はこれからさらに磨かれるにしても、その堂々たる振る舞い、そして、みなぎる自信と謙虚な姿勢。また可能性は、未来のSADAHARU AOKIばりに売れていくことだろうことは想像できる。就職先となる会社の日本法人マネージャーも同席し、親心のような気持ちになると同時に、鮨をつまみながら自分が20代だった頃の気持ちと大切なことを気づかせてくれた。旨かった。

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今回、プライベートの時間をいただき、フィンランド→エストニア→ラトビア→リトアニア(バルト三国)の旅を家族で断行。日常から距離を置いて普段とは違う時間の流れを感じながら、日本での暮らしや生き方とは違うそれらを感じながら、自分をレストアしてきました。経年変化による歴史的時間の流れによって生まれる深みや味わい、ヴィンテージと呼ばれる質感や素材、色使いなど、”古き良きものを生かす”という視点に個人的に興味があり、日本がこれから先残していくべきモノやコト、また積み重ねていくべきこだわりなどを再認識しました。日本においても資本主義の構成要素が大きく変わろうとしている今、これまでどおりのやり方や考え方ではいろんなところで歪みや限界がきているのも事実。じゃあこれからどうなるか、気になるのは、本質的価値なんじゃないかと。企業価値であればP/Lではおよそ図れない部分であり、人の一見見えない部分の価値であり、モノやコトの深みと真価。その大きな時代変化のど真ん中にいる者として、一体何ができるのだろうと疑問を持ち続けていきたい。

Finland(Helsinki)

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Estonia(Tallinn)

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Estonia(Tartu)

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Latvia(Riga) 

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Lithuania(Vilnius)

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魅力的な話し方をする人や、人を惹きつける人がいる。

スティーブ・ジョブズしかり、小泉純一郎やTEDに出ている方、またアーティストでは甲本ヒロトであり、尾崎豊であり、ワンオクのtakaであり…。そこに共通するものは、何か。それぞれの個性やキャラ、はたまた情熱や反抗ということもあるが、そのもっと前提にあるもの。それがこの動画を夜な夜な見ていて、すごくストンと腑に落ちた気がする。

かなり長い動画だが、非常にわかりやすく見入ってしまう。43分頃の小泉純一郎さんの言葉がすごく意味深い。「公の憤りがなければいけないんだ」と。単に、怒っているわけでもなく、大声を荒げているわけでもなく、感情的になっているわけでもない。何かを変えたい、このままではいかんという気持ちが憤りとして表現され、それが熱を持った生きた言葉として、また使命(MISSION)として外に発せられている。

上手く話す、上手く文章を作る。それ以前に憤りがなければ伝わらない。これは、企業におけるブランディングにも共通するなと感じる。継続的発展が企業経営の前提のもと、広義では社会全体に対して、また狭義には目の前の相手に対して、より良くなっていくために、自分たちはどういった価値が提供できて、何をすべきなのかと。

ふと自分に問いかけたい。「今、憤っているのかと」

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